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HISAYOME自身の事 小学校低学年

前回の記事に書いたように私には少なくも心の拠り所がありました。

 

小学校低学年になると、週末の過酷な強制マラソンの成果が顕著に出始めます。

体も大きく、男の子よりも足が速く誰よりも運動が出来ました。

それは、私だけでなく姉もそうでした。

父親はこの辺りから私たちにバスケットボールを与え、練習をさせます。

この頃の思い出はさほど辛くもなく、純粋に父が喜ぶ事が嬉しかった。

シュートが入れば父が喜ぶ。ドリブルが上手くなれば父が興奮する。

1学年上の姉と私は小学校4年生の部活動が始まる年齢には既に上級生よりも上手くなり、疎まれる姉妹となりました。

私は常に年上の子と競い、時には競り勝つ事でそれを誇示するような嫌な子になりました。今思うと本当に可愛くない下級生。友達になりたくない子です。

私は同級生の女の子と仲良くなれず、いつも男の子と遊ぶような女の子でした。

空気の読めない発言や、友達に対して上からの物言いをしていました。

まるで母が私に接するように。 とても発言のキツイ子供だったのです。

そして1人故に意見してくれる子もおらず、私はそのまま成長します。

学校の自由時間は男の子と遊び、家に帰れば1人ですぐさま外へ。

 

私は専業主婦だった母親と、学校の話やその日の出来事、自分の気持ちなんかを話した事はありません。母との会話が少ない子供でした。

小学校の集団生活は親が思う以上にストレスが有るもの。私は自分の経験からそう考えます。だから、なるべく会話を心がけるし意識しています。

母親はこの頃から、なんとしても働きたい!外に出たい!という欲求がMAXになり、家で学習塾を開始します。

彼女は忙しさから、さらに子供の放置プレイに拍車がかかり、家の中が壊滅的に汚くなっていきます。

 

 

 

そんな私達の学校生活を知ってか知らずか、父親は姉が4年生、私が3

年生になる辺りから本格的に「ミニバスケットボール」のチームを作ります。