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ミニバス時代 2

叩かれながら怒鳴られながら週末を過ごす毎日の中で、

母親の「自宅教室」は口コミで大人気。狭くてごちゃごちゃした部屋に多い時は7人。近所の小学生が沢山出入りするように。

母親は他の子にはニコニコしていた。

秀才の姉は教室内で学校の宿題を母に見てもらう。

私は勉学をとうの昔に諦められたことを知っていた。塾で他人の子供の面倒をニコニコして観ている母親が嫌いだった。

たぶん、私は寂しかったんだな~って思う。今になってあの時のどうしようもないイライラや居場所のない不安感や反発心。嫉妬心。さまざまな感情が「私を見て!」っていう私なりの表現だったんだと分かる。

あ~あの時は幼いなりに必死だったんだね。って。

 

常に1人で遊ぶ私は小学校で

・痴漢に会う

・変質者に会う

・車に当て逃げされる

色んな経験をしても母親に言うという選択がない子供でした。

今振り返ってもよく我慢したなぁ~っていう事が多々ありました。

 

私の子供はそんな事があったら私を頼ってくれるのかな?

話が出来る、話を聞いてくれるママと子供。互いにそう思いあえる関係性を築く事が出来ているかな?

言いようもない不安がいつもついて回ります。

私は私の母親と同じになっていないかな? って。

 

 

互いに互いを諦め、私の中で父親と母親は「お父さん・お母さん」ではなく

「監督とコーチ」でした。学年が上がるにつれてその関係性はより強くなり、私は反発を繰り返します。

その関係性を、父は親交の深い他県の監督(Sさんとします。)に打ち明けていたようです。

私に小学校卒業を目前に控えていた時に「Sさんの家に住みながらOO中学校に通わないか?」という話がきました。

Sさんはミニバスのチームを率いていました。そして育て上げた選手を同じ中学通わせて全国を目指す。という方でした。Sさんは素晴らしい方でした。

でも、私は断りました。そんな才能が自分にあると思わないし自信がなかった。それだけ。この選択が私にとって良かったのか悪かったのか。。

 

私が6年生になった辺りで中学に入学している姉が通う学区に住んでいたバスケットボール委員会の幹部だったTさんに父は私たちを預けます。

週末は変わらずバスケ三昧でした。週末以外に毎週木曜日の6時から8時半まで。

Tさんは暴力的で問題視され委員会を離脱した過去があるような人でした。

とにかく恐ろしかった。練習はとても厳しかった。

恐怖に慄きながら木曜日と週末中学生と同じ練習をし、家に帰って死んだように寝る。

 

父と母に敷かれるレールをもがきながら歩いていました。

練習嫌だ。バスケもう嫌だ。何度も言いました。駄々をこねるように。

母親はいつも黙っていました。

「お姉ちゃんはもう仕度出来てるよ!」「お母さんもう塾があるから早く車に乗って!」そういわれて車に乗り体育館に降ろされる。

6年生はあっという間に終わりました。

 

私は可愛くてスポーツ万能学級委員を務める中学で有名人の姉のいる中学へ入学します。入学当日から「OOちゃんの妹なの?!」と上級生に顔を覗かれ声をかけられちょっかいをだされうんざりしたのを覚えています。