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それからの学校生活

いじめが時間の経過とともに徐々になくなっていくと自分が意識したというよりも

周りの大人から「高校の準備をしないと」と言われるようになります。

姉が高校に入学した頃には既に両親は私も同じ道を歩ませるつもりでいました。

 

 いじめの一件は私の中でさらに強く

・誰も私自身を必要としていない

・居場所がない

という意識を持たせました。

そして、せめて両親の言う事を聞かなければ・・・・・という

敷かれるレールの上を歩くことが私の最善の道だと思い込んでいました。

 

私はtさんのチームに所属していましたのでいろんな関係者のコネクティングがあり、大きな大会にも出場していました。

でも、自分の中でバスケに限界を感じていましたし、楽しくないものに沢山の時間を費やすことに意味を見いだせないでいました。「才能がある」「通用する」そんな言葉を掛けられても違和感しかありませんでした。

 

思春期のターニングポイントと言える高校への進学を決める時期が来て、

私は料理か美容の道に進むつもりでした。

「ここの高校かここの高校に行きたい」私は高校のパンフレッを母親に見せていいました。

「・・・・・・・・・・・・・は?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「おねえちゃんと同じ高校にいくんでしょ?」

 

 

私はそれ以上何も言えませんでした。

そのあと母親は「成績が悪いからおねえちゃんと同じ高校の特待でしか高校にいかせられない」と言ったのを覚えています。

父に直談判もせず私の希望は却下されました。

 

「あぁ・・・・・・まだバスケしなくちゃだめなんだ。」

そう思いました。そんな思いでやってもスポーツは上達しません。

事実、私は楽しんだ小学校低学年の時が1番呑み込みが早く、素直に指導を聞き入れる事ができました。

自分のやることに疑問を持ち、いやいやプレイをする様になってからは上達もせず、指導を受け入れる事も出来ず怒られる。その繰り返しです。

叩かれればモチベーションばかりか自己肯定感までなくなる。

負の連鎖そのものです。

 

そんな思いでいる娘を両親は敷いたレールを歩かせて大満足でした。

「tさんいつもありがとうございます。」「~さんその世話になりました。」

「今後もどうぞよろしくお願い致します。」  ニコニコニコニコと、

そんな言葉ばかり他人にかける両親が大嫌いでした。

 

心の中に溜まった言葉があの幼い私に吐き出すことが出来たなら。

バスケは止めて自分の人生を自分の為に生きていきたい。

私を、私自身を愛してほしい。もっとお父さんとお母さんと沢山の話がしたい。

怒らないで、叩かないで話を聞いてほしい・・・・・・・・・。

伝えられたら関係性は違ったのかな・・・・・・・・・・・・・・・??????

いつも持っていたイライラともやもや。あの時の私は言葉に出せない不安や苛立ちを汚い言葉で吐き出さない様に必死だったな。

 

こうして書く事で自分の過去と向き合って自分を労わってやることが出来ます。

それだけでも過去の私は救われる。頑張ってたな~自分。

私がこんな経験をしたのは今の私の宝物達に同じ思いをさせない為に神様がそうさせたのでしょうね・・・・・。ははは。

 

そして中学3年生の半ばごろ私の知らないところで両親とtさんと高校の監督での間では既に姉と同じ高校に行く事が決まっていました。

人間関係で苦労した中学生活の後の高校生活・・・・・。これもまた有意義な時間は過ごせませんでした。