寮の決まり
特待の意味すらあまりよく分かっていなかった。
「あ~親には嬉しいもんなんだな」。親と一緒にいなくていいのもいいのかもな・・・・っていう位の知識で入学。入寮。
入学当初の私がその決まりを知っていたら・・・・・・・
(高校に入学できなくていいので勘弁してください)って思ったんじゃないかな・・・。
学校の敷地内にある寮で過ごし、朝は5時半に起床→朝練→登校→授業後から8時過ぎまでバスケ→食事→掃除→風呂&洗濯&宿題10時半には消灯などなど。
決められた時間で集団生活。お風呂も学年ごと。プライベートな空間などほぼない状態で、1年生は先輩よりも30分早く起床。コートの準備、モップ掛けなど雑用を全て担います。
ここで私は初めの葛藤にかられます。
今まで「お姉ちゃん」と呼んでいた姉を「○○さん」と呼ばねばならず、
また、(姉に対しての話し方が馴れ馴れしい)と言うことで、3年生と2年生の保護者の間で問題になり、あまり喋らないように。と親子で釘を刺されます。
「あ~また意味の分からない事でぐちゃぐちゃ言われるのか・・・・・」
と思いました。
これが入寮後1か月で言われた事。わざわざ保護者会まで開いた内容。
その異常とも言える縦社会に3年間身を置いていたストレスからか、
両親から離れても様々な他人の目を気にしなければならない恐怖感でいつもびくびくしていました。
寮生もですが父兄も絶対の縦社会でした。3年生と3年生の父兄は監督と同じ扱いでした。
そして何よりも苦労したのが、低血圧で朝の弱かった私は朝練で3キロ競争マラソンとシューティングを終えた直後に出る大量の朝ごはん。
食べるのも練習だ。という体育会系丸出しの方針の元、月曜日から土曜日まで毎日決められたメニューを当番制で作る炭水化物ばかりの朝ごはん。それが辛くて辛くて
食べられなくて食べたくなくて初めは泣きながら食べていました。
勿論、残すのは許されません。地獄でした。
色んな事が辛くて、息苦しくて、生きづらくて、私はいつもベットの上で声を殺して泣きながら眠りについていました。まるで中学の時のいじめられた時のように。居場所はないのにいなければならない教室のような。そんな毎日でした。
「私も1年生の時はそうだったよ・・・・。」唯一優しくしてくれた1人である2年生の先輩はそう言っていました。
いつも優しい、本当にいい先輩だったなぁ。