脱毛さんとのお付き合い後のHISAYOME。 詐欺にあう。

私の過食嘔吐はより酷くなりました。

 別の職場の可愛がってくれてた先輩に影響を受けて、

煙草の味も覚えたっけ。 中学の頃の様な「キンギョ」ではなくて。

 もう自分の身体なんてどうでもよくて。

生きている意味すら分からない毎日で。

同じ職場の先輩は相変わらず意地悪で陰険で。

定時前に仕事上がって、体育館の準備してバスケして、愛想笑いに

おべんちゃらばかりの毎日。

 

 寮に寝に帰るだけなのに、1人になるのが寂しくて。

その頃の自分に見合うような最低彼氏に夜な夜な会って。

 

なんて自分に可哀想な事をしたんだろうなぁ・・・・・・・。

 

 その時のちょっとだけ年上の大学生の彼は私の過食に輪をかけるように。

「中学の頃から君を知っていた。 スタイルのいい君が好きだ。」

なんて言ってくれていました。

 彼はそれはそれは痩せていたし、

「自分よりも太い女性とお付き合いなんて考えられない。」

なんてほざく人。

 

 そんな人に合わせる必要なんてないのにね。

一生懸命。食べない様に。残すように努めていました。

相手に合わせて合わせて気を遣って生きる事しか出来ないような。

「いやだ。」って言っちゃいけない。

人との付き合いってそういうものだと思っていた頃。

会社で先輩の顔色を窺う延長戦上の様なお付き合いでした。

毎度、異性とのお付き合いも嫌になって「お別れ」の繰り返し。

 

 嫌だったなぁ。辛かったなぁ。苦しかったなぁ。

そんな思いでしかない。あんまり覚えてもいないのだけれど。

 

 

 そんな事を話せる友人も親もいなかったので、きっとあの時期の

精神状態が1番やばかったのは確実。

 

休日の朝。3合炊きの炊飯器に2合ご飯炊いて食べて吐いて。

その後バスケの練習に行く。 そんな生活を繰り返していました。

 空っぽのお腹で寮に帰ってきて煙草とBEERとで3本飲んで、

手当たり次第に色んなもの食べて吐く。

 その後、その時々の彼と会う。

 

 

 そんな生活に嫌気がさして、

私このままじゃだめだ!

誰も助けてくれない。私が私の為にしっかりしなくちゃ。

そう思わせてくれるきっかけとなった詐欺に合いました。

 

・1つはバスケのマネージャー(先輩です。)に連れられて

下着の鼠講にあったこと。

(彼女とは今はもちろん疎遠です。)

 

・もう1つは親しい(と思っていた)先輩にバスケの練習後、寮まで送ってもらう

話だったのに拉致されそうになった事。

(彼は年齢も家族構成すらも偽っていた模様でした。(私には独身と言っていた。))

 

なかなかの衝撃的な経験だったので、人間不信に陥りまして。

 

「もう異性とは付き合わない! 誰にも依存しない!」と決めた時。

   

 

 

 しばらくして、私は大黒柱に出会いました。

 

 

 

 

 

 

 

社会人になってからの円形脱毛症

結論から申し上げますと、

親がこんなダメダメな子供が入社できた一流企業?を2年余りで退社した私。

 

異動願いを出しても異動がなされず、

HISAYOMEは毎日向かいの席に座る性格の歪んだ先輩から受ける嫌みや誹謗中傷。

バスケの縦社会に身を置くことに自分で思う以上にストレスを受けた模様です。

 

 美容院に行った際、「円形脱毛症」が発見されました。

後頭部に、自分では気が付かなかった事にもショックをうけました。

漫画みたいだな・・・・・なんて思いながら、

・こんな思いで会社にしがみつく理由は?

・私は何がしたいのか?

・私はどうしたらいいのか?

そんな事ばかり考えていました。

 でも、敷かれたレールしか歩いてこなかった私には自分で自分の道を切り開く勇気とか気力がなかったんですよね。

 

親にも、会社の先輩にも認められない私が他の場所に行ってもやっていけるのか?

とか、やってもいない事を先回りして自分自身を不安にさせて。堂々巡り。

 

 その頃の私は両親の替わりを務めてくれる、

年上の恋人ばかりといお付き合いしていました。

さほど好きではなくても。 そりゃあ、長続きしませんね。

毎度毎度2・3か月です。

あの頃の私は親の替わりに私をただ「愛している」と言ってくれる、

何をしても許してくれる都合のいい相手が欲しかったんだと思います。

 

 

赤ん坊のように他者からの愛を無条件に感じたかったんですね。最悪です。

きっと色んな方に恨まれていることでしょう・・・・・・

この場をお借りして。 本当に申し訳ございませんでした。

 その時には気が付けなかったんです。

私は親や監督からの毒に塗れて当たり前の感覚や感情を無くしていたんだと思います。

 

愛されるってそんな事ではないのにね。

愛しているから愛されるのに・・・・・・・・。

 

身体だけ大人だった過去の私に平手打ちでもかまして教えてやりたい。

 

今だからこそ理解できる。

あの頃の苦しみも、自分の両親や関わった大人が

完全な「毒持ち」だったと気が付いてから。

 

      

 

 

 

      改めて私の子供には絶対にしないと強く強く思う。

 

 

 

 

HISAYOMEが入社した会社

 高校卒業目前のバイト三昧の生活中、退寮してから少しの間自宅にいました。

 

 姉の部屋は綺麗に片付いたのに対して私の部屋はなぜか物置になっていたので

物凄く居心地が悪かったのは言うまでもありません。

 両親の私と姉の差別は無意識なのでいちいち悲しんだりしませんでしたが。

 

 母は自宅の塾とホテルの清掃の仕事を掛け持ちしていましたし、

父はほとんど顔を合わせる事もなかったので気が付いたらすぐに入社式でした。

私は自宅で母の動向を気にしながらも吐いていました。

 

 HISAYOMEの入社した会社はわりと大手企業で、

私の母と父は大満足だったようです。

私は死んだように生きていたんだけどね。知らないでしょうけれどね。

 いつも悩んでいつも疲れていつも吐いていました。

 

 会社に入社してから私は高校の時よりもさらに過食嘔吐を悪化させます。

何故かというと、寮という1LDKの自分の城をいただいて毎食個食だったからです。

それから、バスケ部の縦社会に属する生活のストレスと配属先の指導係の先輩からの嫌がらせなどのストレス。ほぼ人間関係が大部分を占めていました。

 

私の配属先は事務でした。PCの研修もなくエクセルどころか進学コースにいてPCすら触ったことがない私が事務・・・・・・。

無能すぎて先輩の逆鱗に触れまくっていました。(そりゃそうだ。)

嫌がらせや嫌味はまるで漫画のようでした。

ため込むストレスをお酒と煙草で消化させていた時期もありました。

 

 社会人のバスケ部と言ってもそれぞれの県からくる選手が皆仲良くなるなんてことはなくて、年功序列の完全縦社会です。

定時前にバスケ部だけ仕事を早く切り上げさせてもらっていたので快く思わない人の方が多かったと思いますし(私の職場の先輩がそうでした。)

部内は勿論派閥だらけで、会社内には高校の先輩がうようよいる様な会社で。

大学卒の同期とのノリにも私は馴染めず付き合いも悪い人間でした。

 

 

 

 その頃から付き合う異性も2・3か月で終わってしまうし、

「スタイルがいい」なんて言われると

 過食嘔吐しているから = このままの体重を維持しなくちゃ!

なんて思うんですよね。なんという負の連鎖なんでしょうね。

 

そして吐きながら「私はなんで生きているんだろう」とか

「なんてからっぽな人間なんだろう」って思っていたんです。

 

 私は過食嘔吐をやめられる日がくるんだろうか・・・・・

そんな不安も大きかったし、只々毎日息をして立っているのが精一杯な程

身体的にも精神的にも疲れていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過食嘔吐がもたらす内面の変化

 過食嘔吐が始まってから、私は体重が少し落ちました。

体重が少し落ちて、

「あぁ、これでやっと体重の事で怒られなくて済む。」

そう思って喜びました。

喜ぶことが既に間違っているのですが、

当時の私はそれはそれは歓喜したような気がします。

既に精神が病んでいるようなものだったので、過食嘔吐は習慣になりました。

体重はきっかけになった監督の一言をうけた時から

8キロ位落ちていたのでは?と記憶していますが。

私は「体重を気にして過食嘔吐になってしまった。」

というのは切っ掛けに過ぎなくて。

 

 本当は。

回りにいる寮生と上手く係わる事が出来ない自分に。

姉のように親と仲良くやれない自分に。

怪我ばかりする自分に。

居場所がない自分に。

苦しんでいたような気がする・・・・・。

 勿論、どうしようもない事の方が多いけれど。

私なりに周りに合わせようと必死だったんですね。

回りからはみ出さない様に。乱さないように。

 

でも、それが上手くいっていない気がして。

結局私はこんな風なんだ。私はダメなんだ。そう思ってばかりでした。

 

毎日夕食を食べて吐いて。

「あぁ、食べ物吐いて私って本当にどうしようもないな。」

「なんでこんな風になっしゃうんだろう。」

「なんでこんな事がやめられないんだろう・・・・。」

いつもそう思いながら自分を責めて泣いて吐いていました。

吐いている自分が惨めで情けなかったんですよ。本当に。

 

 自分が大嫌いだったんです。

自分が嫌い。人も嫌い。バスケも嫌い。親も嫌い。私には何もない。

 

どんどんどんどんその思いは強くなっていきました。

結局は私の弱さなのだけれど。それで終わりなんだけど、

毎回毎回吐く度に、どっと疲れてしまって。

 今までよりも、人と話すことが面倒でだるくって・・・・。

放課もいつも寝ていました。

 

今思うと、高校3年生の時は鬱の様な状態でした。

 

でも、夏が終わり世代交代をして、退寮が済んでからの3か月。

やっとその生活から逃れられた3か月は、嘔吐は続いていましたが。

とても充実していたように思います。

母が嫌がるピアスを開けて、短期のバイトを掛け持ちして。彼氏が出来て。

(あぁ、こういう普通の高校生活がしたかったな。)

 

なんて思いながらも束の間。

 

 私の入社式が迫っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

過食嘔吐に何故なったのか? 私はどんな事を意識したのか?

沢山のストレスを抱えていた私。

勿論、それは寮生皆だったと思います。

 

では、何故体に負担が掛かる過食嘔吐に走ってしまったのか??

それは、私が私自身を諦め、他者と係わる事を嫌がり心を開かなかった為

苦しみを分かち合う友人がいなかった事。

両親がいなかった事。(生きてはいます。関係性での意味で。)

私自身が弱かった事。それにつきるんだろうなぁ・・・・・・・と。

 私は人に助けを求めることが出来ません。甘える事も出来ない性格です。

故に、弱さを見せる=助けを求める=恥 という形式を自分の中に作っていました。

 

 きっと、過食嘔吐の事。自分の苦しみや悲しみを誰かに相談していたら、

7年も掛からずに完治出来たかもしれないけれど・・・・・・

病院に掛かることもまた大きな勇気だと思います。

私は出来なかったので体験談などがないのですが、

「人に相談する」事はとても大切だと思うから。

それは精神的に前向きに歩き出す大きな1歩だと思います。

 

 

それから、1人で食事を摂らない事。

これは私が最も強く意識した事です。 相手が誰でもいい。

(私の場合は子供でした。) 話しながら、楽しく食事を摂る事。

食事の本来の姿を取り戻す事。

私の場合は「全部食べなくちゃいけない」思いが強かったので、その意識を払拭しなければ克服出来ないと思ったので、(お腹が一杯ならば残していい。)という事も強く意識しました。

 お腹が空かなければ1食抜いても平気。

3食食べなくちゃいけない事なんてないのだから・・・・・。

自分の体の声に素直になる事。まずはこれでいい。

固定概念に囚われている自分の心の解放と、食事に対する意識改善。

 

 

これに取り組んでも、効果は直ぐには出ませんでしたが、

(7年かかってるしね・・・・・・)ゆっくりゆっくりでも、

前に進む気持ちがあれば、トンネルの出口がいつかきっと見えてくると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校から始まった過食嘔吐

私の過食嘔吐が始まったのは高校2年生からですが、

その切っ掛けとなったは、松葉杖&ギプスにより練習に参加出来ないのに、

通常通りの食事をとらねばならず体重が増えてしまった私に監督が

「練習もしないくせしてブクブク太りやがって!」と言った一言から始まりまして。

(食事を控えてもいい。って言ってくれりゃ控えるわ!!!!!)と思いつつも・・・

 

練習が終わって寮生皆で一斉に食事をとる中美味しくもない冷えた仕出し屋の弁当を喜んで食べる選手の方が少なかったのです。

食事の後は全員で掃除。もたもた食べても迷惑になります。

監督が「食事を控えてもいい」と言わなくても残しにくいもんです。

どれだけお腹がいっぱいでも食べねばなりませんでした。

それが切っ掛け。そんな事でその先7年も苦しむ事になるとは思いませんでした。

 

当時も体重が増えてしまった。。。。。と言っても4キロ位なもんでした。

きっと10代の子供なので練習に復帰すれば痩せたとは思います。

 

食べたらまた太ってとばっちりを食らう・・・・・・

そんな強迫観念をもって吐いていました。毎日2回。

学校の人が少ないトイレと寮のトイレで。

食事が怖くなっていました。

(食べたら吐かなくちゃ。でも、どうせ吐くのならこのお菓子も食べておこう。)

そうやってどんどん1度に吐く量が増えていきました。

 

吐くのは苦しい。辛い。

でも、止められなくなっていくんです。1口食べ物を口にすると食べるスイッチが入ってしまってお腹がはち切れそうになるまで食べてしまう。

そうすると、「やばい!吐かなくちゃ!」「全部出さなくちゃ。」そう思うんです。

少なくとも私はそうでした。

吐いてる時も吐いた後も自責の念に駆られて(なんてダメな自分・・・・)

となってしまう。そうすると気持ち的にもふさぎ込んでしまうんですよね。

 

精神的なものが影響して始まった過食嘔吐。

私はそんな生活を7年続けましたが、今は克服出来ています。

出口の見えないトンネルに自分1人が放り込まれたような気持ち。

私は分かります。

辛くて辛くて何が辛いのかもわからないような状態だった私でも完治できました。

 

 もし、今も苦しんでいる人がいたら、今後私が書く事が少しでも参考になれば幸いです。

高校引退が近づいた頃

私は私立の高校だったので、3年生になる際に

・進学するのか

・就職するのか

という本人の意思で2つのコースの何方かを選ぶシステムになっていました。

私は漠然と、「今度こそ美容系か調理の専門学校へ行きたい」という淡い期待を胸に進学コースを選択していました。

そして勉強をせずに赤点を逃れる事ばかり考えて過ごしていました。

(ほとんど寝ていました。当時の先生方、申し訳ございません・・・・・・)

 

バスケット部私を含む私の同期生はスター選手がいませんでした。

そこそこの成績でした。そんなバスケを引退できる時期が迫っていた時期には進路の話がありました。

私は進学コースで進学を希望していました。

が、ここでも私の希望とは180度違う道が監督と両親で進められているなんてその時は思いもしませんでした。

彼らは私に就職をさせるつもりでした。就職先でもまたバスケを続ける事が条件で。

 

そう担任の先生に話をされて私は母親に

「いやだ。専門に行きたい。就職はしたくない。」といいました。

その時に母は「お姉ちゃんにお金がかかってるからあんたまで進学させられない。1度就職して自分でお金を貯めて専門学校に行きなさい。」

と言い放ちました。

 

私は自分の意見を考えてすらくれない両親と優秀な姉にしか投資できないと言い放った母親が憎くて。辛くて泣きました。

(あぁ。私はやっぱり必要ないんだな。)改めて心の底からそう思ったっけ。

 

自分の価値が存在がわからなくてやっぱり言われるまま、決まられるまま

男子禁制バスケ部の寮がある会社に就職が決まりました。